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人を育てるとき、人を変えられると思わない

初めて新人や後輩の育成を任されたときのことを思い出してみてください。

たぶん「立派に育てなくては…!」と気負ったと思います。私もそうです。

今日は「気負わずいこうよ、人は変わりたいように変わるだけなんだから」という話をしたいと思います。

最初に考えてみたいことは、人の成長のうち「私のおかげ」はどれくらいか?ということです。

「あいつは俺が育てた」って言えるかどうかですね。言えますか?

もし、自信を持って「言える!」という人がいたら、ここで回れ右して戻ってください。

私が思うに、「私のおかげ」は割合にして10%あるかないかくらいです。

なぜそう思うのか?というのを図にしてみました。これは成長を要素に分解したものです。

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上3つが育成者にできることで、残りは本人の考え方によるものです。育成者にできることは、情報提供、動機付け、未来を見せる、たったこれだけです。

このことは「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」でも書かれています。内容は下記の記事にまとめているので、よかったらご覧ください。

成長を要素に分解したことで、ほとんどが本人の考え方次第ということがわかりました。同じ教え方をしても人によって成長スピードが違ってくるのはこのためですね。

でも、ここでひとつ疑問が浮かびます。本人次第な要素を本人次第にせず、育成者が手伝ってあげれば成長させられるのでは?ということです。

もし、育成者が働きかけて考え方を変えさせることができれば、人を大きく成長させることができそうです。しかし私は、人を変えることは到底できないと思っています。

「人を変えることはできない」という考えに対して反対の人もいると思います。そういう人もいてほしいです。だって、皆が皆「人を変えることはできない」と思っていたら救いがなさすぎます。

私の考えでは、という前置きをして進めますが、「7つの習慣」では自分がコントロールできることと、そうでないことを線引きしなければならない、とあります。

自分がどう思うかは自分次第ですが、他人がどう思うかは他人次第です。育成者が「こうした方がいい」と言っても、そうするかどうかは人の自由です。

育成者であっても、人に考えを変えさせることはできません。それは言うなれば、コントロールできないものをコントロールしようとしている状態です。無理なことをしても疲弊するだけです。

育成者がやるべきことは「環境作り」です。成長できる環境を用意したら、あとはどう振る舞うかは本人次第なのです。こんなことわざがあります。

You may take a horse to the water, but you cannot make him drink.馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない。

そして、たとえ同じ環境を用意したとしても、そこから何を得るかは人によって違います。

失敗したからもう二度とやらないと思うのか、失敗しても諦めないでチャレンジしたいと思うのか。何かを学んでほしいと思っても、学ぶのは本人です。

要するに何が言いたいかというと「人は変わりたいように変わるだけ」ということです。


2020年9月21日 加筆修正

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