アドラーと言えば「嫌われる勇気」を思い浮かべる人も多いだろう。
アドラー心理学は、「自己啓発の源流」と呼ばれ(そう言われると胡散臭く感じるが...)、著者によると「人を動かす」や「7つの習慣」には大なり小なりその影響を見つけることができるそうだ。
私は「人を動かす」や「7つの習慣」を読んでから本書「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」に入ったが、やはり同じような考え方があると感じた。
それらを読んだことがある人にとっては「ああ、それは聞いたことがあるな」と思うことが多いが、原点に立ち返るという意味で本書は有意義だった。
このエントリでは「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」の内容をまとめる。
叱るという行為は上司が部下に対して行うもので、逆はない。本書によると、ほめるという行為もそうだという。
「ほめる」という行為は、あくまでも上位者が下位者へ対して行う行為である。それが世の常識なのです。
別に上司が部下をほめても良いと思うし、逆に部下が上司をほめても良いと思う。
本書によると、ほめたり叱ったりすることで、上下関係をすりこみ、部下に劣等感を植え付けてしまうという弊害があるそうだ。
そこで代わりに「勇気づけ」をする。勇気づけとは「相手が自分の力で課題を解決できるように支援すること」である。
アドラーによると、人生のあらゆる課題は3つに集約されるという。
- 仕事の課題
- 交友の課題
- 愛の課題
人は課題に直面したとき、「勇気の有無」によって努力するか、逃げ出してしまうかを無自覚に選択する。
叱る行為は勇気を挫いてしまうのでもってのほか。
人はダメ出しされると人格否定されているかのように感じるのだ。
課題を乗り越えられるように勇気づけるのである。
しかし、ほめると勇気づけは完全には区別できない。
区別しようとするのではなく、上から目線にならないように注意することが大事なのだ。
「教えてはいけない」はつまり、「What(何を)を設定し、How(どのように)は部下に委ねる」というもの。
ティーチングではなく、コーチングに近いイメージだ。
よく見る光景として「どうしたらいいですか?」という質問がある。
これは構造的に見ると他人に決断を任せている状態だ。
こんなときは「どうしたいのか?」と部下の意思を確認することが大事である。
とはいえ、行き詰まることはある。
そんなときは3つの視点で気づきを与えよう。
- 経験
- 成功体験、失敗体験を伝えることでヒントを与える
- 視点
- ものの見方を提供し、新たな角度から考えさせる
- 枠組み
- 枠を取り除くことで自由な発想で考えさせる(リフレーミング)
伝え方にも3つある。
- 質問
- ひとりごと
- 提案
これらは下に行くほどティーチングに近くなる。
「結末を体験させる」とは、「あなたなら、きっと自分の力で成し遂げられる」と期待し信じることである。
もし仮に失敗に終わったとしても、「経験から学びを得てほしい」と思うことである。
ちなみに、相手にポジティブな期待をするとその期待が実現するというのを「ピグマリオン効果」という。
「愚者は経験から学ぶ」でおなじみのビスマルクの名言は、世間一般にはちょっと違って受け取られてしまっているらしい。
実際には次のような内容だ。
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。
注意しなければならないのは、「経験から学ぶことを戒めているのではない」ということ。
つまり、自分の経験に加えて、他者の経験からも学ぶことを推奨しているのだ。
加えて著者は、他者の経験に学ぶためには、自らも類似する体験を積んでいかなければならないと言う。
しかし注意しなければならないのは、「人はやらされた経験からは学べない」ということである。
だから、「どうしたらいいか?」に対して「どうしたいのか?」を問う必要がある。
ここでダルビッシュ有選手のツイートを紹介しよう。
練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) 2010年6月11日
何事もやらされではなく、自分事として考えなければならないということだ。
加えて、部下が失敗しないように手を回しておくのもいけない。
心配になってしまうのは理解できるが、そんなときは「部下には失敗する権利がある」と考えよう。
失敗を通して学びを得る権利があるのだ。
過度に相手に踏み込まずに中立的に意見を主張することを「アサーティブなコミュニケーション」と呼ぶ。
これも勇気づけと同じで、相手の上からでも下からでもなく、あくまで対等な目線で意見を述べることだ。
多くの感情の問題は中立的でない、課題の分離ができていないことに起因する。
感情に関わる課題において、管理職は部下の感情に責任を負ってはいけない。
仕事を割り当てられた部下がどのような感情(不平不満など)を持つかは部下の課題であり、上司の課題ではない。
要するに、課題を分離し、境界線を引かなければならないのだ。
これをよく表したことわざが紹介されている。
You may take a horse to the water, but you cannot make him drink.馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない。
上司は部下のために、やる気が出るような環境を作ることはできるが、無理矢理やる気を出させることはできない。
与えられた環境でどう振る舞うかは本人の課題なのだ。
「人を動かす」や「7つの習慣」を読んだことがある人にとっては、おなじみの内容だったはず。
例えば「7つの習慣」では、自分がコントロールできることとコントロールできないことを分離して考えるというのがあるが、それはまさに「課題の分離」に当てはまる。
何事においてもそうだが、自分の仕事や使命を自分の言葉で語れるかどうか、つまり自分事にできているかどうかによってパフォーマンスも成果も大きく違ってくる。
リクルートでは「お前はどうしたいの?」と聞かれる文化があると紹介されていたが、多くの著名人を輩出しているのには理由があったのだ。
以上、このエントリでは「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」の内容をまとめた。
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