リモートワークが当たり前になって人と会う機会がめっきり減った。
人と会わなくなったことで対人スキルの重要度は下がるかと思いきや、むしろ上がっていると感じる。
リモートワークになって、SlackやTeamsなどによるテキストコミュニケーションが中心になった。
リモートワークの前は休憩スペースで、余った会議時間で、ふと声をかけて雑談する機会があったが、今はない。
コミュニケーションの総量が減った分、残ったコミュニケーションに意識が向くようになった。
何を言って、言われたか、言葉一つ一つの重みが増した。
何気ない一言にモヤモヤしたり、あの言い方だとこうも取れるのでは、などと後悔することが増えた。
テキストコミュニケーションでは「受け手がどう感じるか」に注意を払わなければならない。
テキストには表情や声のトーン、間(ま)といった非言語情報が無いからだ。
また、顔色から相手のコンディションを察するということもできない。
心が疲れているときはネガティブな意味合いに受け取ってしまうなど、同じ言葉でもどう受け取られるかは受け手のコンディションによって違ってくる。
非言語情報が無いことや受け手のコンディション以外にも、決定的な違いがある。
対面でのコミュニケーションではテンポが重視されるが、テキストでは違う。
テキストでは対面ほど早く返事をする必要がない。つまり、考える時間があるってことだ。
受け手は、受け取った言葉から送り手の意図や感情を何パターンも想像する。その時間的猶予がある。
相手に対する敬意の有無や礼儀正しさは言葉の端に表れてくる。
何気ない言葉で傷ついてしまうことのいくらかは、言葉の端から読み取れる敬意の無さや無礼さもあるだろう。
「なんでこんな言い方をするのだろう?」と傷ついてしまう前に、知っておくと役立つ知識もある。
「チャットコミュニケーションの問題と心理的安全性の課題」によると、同じコミュニケーションという言葉でも、人によってその意味するところが違うというのだから興味深い。
そもそもの認識にズレがあることを知っておけば、そういうものだという割り切ることで自衛もできる。
リモートワークに移行したことで、思いやりや配慮といった対人スキルの発揮がより多く必要になった。
思いやりや配慮はタダではない。このことは、対面であれば少ない労力で済んだはずのコミュニケーションに、不可視だが無視できないコストが上乗せされていることを意味する。
オフィスを解約してフルリモートワークに邁進する動きの一方で、対面の価値を再認識し新しいコミュニケーションの形を模索する動きもある。
リモートワークは通勤不要、居住地を選ばないといったメリットばかり持て囃されがちだが、その対価にも目を向ける必要があるのではないだろうか。
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