小さなチームでは、個々人の善意で仕事が回る。
誰かがやらなければならない仕事を、誰かが率先してやってくれるというわけだ。
少人数ではそれでうまく行っても、人数が増えると同じようにはいかない。
次第に率先してやる人と、そうでない人との間で軋轢が生じるのだ。
私がマネジメントする小さなチームは、これまで何度か組織拡大に向けて試行錯誤してきた。
そんなマネージャーの立場から、ともすればチームが無機物になっていくようにも見える組織拡大について、最近考えていることを述べてみたい。
小さなチームでは、感情や人間関係がチームに与える影響は大きい。
それゆえに小さなチームでは、良くも悪くもそれらをケアし、気分良く働いてもらうことで仕事が回る。
しかし本来的には、感情や人間関係が良好だから仕事をする、そうでないから仕事をしないという状態は健全ではない。
そういった感情のマネジメントは、チームの人数が増えると脆くも限界が見えてくる。
小さなチームから脱皮するには、人間関係や感情に左右されない、仕組みによるマネジメントに移行しなければならない。
仕組みによるマネジメントは、人の代替可能性と組織の持続可能性をもたらす代わりに、無機質な印象を与えるかもしれない。
私がチームメンバーの立場からマネージャーを見ていた頃、「もっとこうすれば良いのに」と思うことがよくあった。
チームにとって「やった方が良いこと」はいくらでもある。そして「やるべきこと」も存在する。
チームの存在価値は、チームがどれだけ価値を提供できたかによって決まる。
マネジメントの目的は、チームを働きやすい環境にすることではないし、チームをただ存続させることでもない。
価値を提供できないのであれば、マネージャーもチームも無価値である。
だから、マネージャーは常に価値提供のために「やるべきこと」と「やった方が良いこと」を一歩引いて見極めなければならない。
ここまでの話で、「なんて機械的なチームだ。それではただの歯車じゃないか」と思われた方もいるかもしれない。
チームも、チームメンバーも、マネージャー自身でさえ、代替可能で持続可能な仕組みを構築するのがマネジメントだとしたら、私の仕事を私がする意義はどこにあるのだろうか?
もし、言われたこと、決まったことだけをこなすだけであれば、そこに意義はない。
仕事の意義とは、私でなくてもいい仕事の中に、私だからこそできる仕事を見つけることだと思う。
客観的にはそれすらも無意義かもしれないが、少なくともそう思って働くことを、私は選びたい。
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