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心が晴れる考え方「菜根譚」まとめ

堅い菜根もよくかめば、滋養となって心身は健やかになる。

菜根譚は「心安らかであるためには」をテーマに、儒教、道教、仏教から生き方に関する言葉をまとめた書物で、そこには仕事や人間関係の悩みが絶えない現代人にも通用する考え方がたくさんあります。

このエントリでは「菜根譚」の中から、心が重たくなったときに読み返したい言葉を抜粋して紹介します。

何かをやりとげようと思うならば心の荷物を下ろすことだが、これは心理的に相当難しい問題である。「重い責任が心を抑圧する」状況に陥ったら、その負担を取り除いて身軽な心理状態を取り戻すことだ。(中略)知恵ある人は、大いなる幸福感が「やりとげる」ことによってもたらされるだけでなく、「重荷を下ろして忘れ去る」ことによっても導かれることを知っている。忘れてしまえば、新天地が開ける。これは意義のあることであり、後悔や失望を感じることはない。
現実には、他人の評価を聞いて心が動揺したり、周囲のくだらない噂話に心が乱されたりすることが多い。本当はそのようなことで悩むことはないのである。誰でも自分だけの生き方というものをもっており、それを他人に理解してもらう必要もなければ、あれこれ言われる筋合いもないからだ。(中略)他人からどう見られようと、どう言われようとも気にすることはないし、真面目に受け取りすぎるのもよくない。他人は勝手に喋るものであり、何を話そうと他人の自由なのである。したがって、最も大切なことは自分が他人からどう見られているかではなく、自分はどの方向に向かって、どういう歩き方をすればよいのかを考えることなのである。
貧乏になったり、落ちぶれたりした人間に対して、世間が冷たくなるという話はよく聞く。(中略)だが、こうしたことに嘆く必要もなければ、憤ることもない。人は常に順風満帆とはいかない。得意絶頂のときもあれば、悲運の谷底に落ちることもある。それが人生だ。楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。「毀誉褒貶(ほめたりけなしたりすること)は人の常」と古人もいっている。こうした世の中で大切なことは、泰然自若とした心持ちだ。
人間関係では、あまり疎遠にならず、親密すぎず、一定の距離を保つことが大事である。(中略)一定の距離感を維持しておくと、人間関係に柔軟性を保つこともできる。話が合えば多く語っても構わないし、話が合わないときには互いに遠慮しても失礼にはならない。(中略)距離を保つことは冷淡さの表れではなく、相手の事情を理解して尊重することであり、さっぱりとした関係のほうが品格のある付き合いができるのである。
社会経験を積むと、処世術がうまくなると同時に、警戒心も強くなる。経験は良い知識も得れば、悪い知恵も与えてくれる。(中略)問題に直面しても周囲の目を気にして器用に処理することだけを考えずに、素朴な気持ちで真面目に対処するように心がける。決して、利口に振る舞ってはならない。(中略)本心を語ったり、誠意を示したり、真面目であったり、こだわらなかったりする人は貴重な存在である。
孔子は、「物事を処理するときには、度がすぎてはならないが、足らなくてもいけない」として、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という言葉を遺した。人づきあいにおいてもこれが大事である。(中略)本分として当然なすべきことに全力投球し、本来やるべきことをしっかりと続けることは大切なことである。だが、問題が起きたときに、過度に頑張りすぎたり、淡々としすぎていたりすると、どちらの場合も本来楽しいはずの人生を見失うことになる。

以上です。

このエントリでは「菜根譚」の中から、心が重たくなったときに読み返したい言葉を抜粋して紹介しました。

菜根譚には、ここで紹介したもの以外にもまだまだ多くの言葉があります。

仕事や人間関係で悩んだとき、悶々と考えてしまうことはよくあることだと思います。そんなとき書棚からスッと手にとって読みたい…菜根譚はそんな1冊です。

興味が湧いた人はぜひ読んでみてください。

Thank you!
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