一流アスリートが勝利インタビューで「チームメイトのおかげです」とか「家族のおかげです」とか話している光景は珍しくない。
自分はずっと「謙虚な人だなぁ」と思っていたんだけれど、最近は「心からそう思ってるんだな」と考えるようになってきた。
全然まとまりのない乱文ですが、そう考えるようになった理由を書いてみたいと思います。
人の能力を決定付けるのは、その人がどれだけ努力したかによる。では努力を左右するのはなんだろう?
しっかり考えたことはなかったけど、このことは私の中でずっと疑問でした。
ところで、当時話題になった平成31年度東京大学入学式の祝辞を皆さんは覚えているだろうか?
祝辞の中で、上野先生はこんなことを述べられています。
がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
努力そのものだけでなく、努力は報われると思えることすらも、周囲の環境のおかげだというわけです。
私はこれを読んだとき、アメリカのアファーマティブ・アクションのことを思い出しました。
アファーマティブ・アクションとは、歴史的に差別されてきた弱者集団に対する改善措置で、「肯定的差別」とも言われます。
例として、アメリカの大学では人種によって(アフリカ系アメリカ人などの)入学試験の点数が割り増しされることが挙げられます。
アファーマティブ・アクションの是非についてはいろいろな意見があると思います。
歴史的経緯による格差を是正するにはなんらかの措置を講じなければならない一方で、人種というものすごく大雑把な分け方でいいのかという疑問もあります。
それはさておき、努力できるかどうかは環境によるところが大きいと言って良さそうです。
先日YouTubeで、マイケル・サンデル教授のインタビューをたまたま目にしました。
マイケル・サンデル教授は「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の著者として有名です(まだ読んでないので今度読んでみようと思ってます)。
インタビューの中で教授は、アメリカでは経済力のある家庭の子でなければ一流大学に入るのが困難になっていると述べ、勉強に集中できる環境を得られるかどうかを左右するのは「運」だと述べていました。
どの国に生まれるか、どんな家庭に生まれるか、先天的な疾患などなく健康に生まれるかは選べません。
もしあなたが今、住む家や着るもの、食べるものに困っていないのだとしたら、それは運が良かったからです。
たまたま努力できる環境があって、その中で努力をした。運が良かった。そういうことなのです。
職業に貴賎なしと言うけれど、実際には職業によって報酬に大きな隔たりあります。
インタビューの締めくくりで教授は、報酬の多寡ではなく、必要不可欠な仕事を担ってくれている身近な人たちへの感謝の気持ちが大事だとも述べていました。
そういうわけで、自分が与えてもらった様々なことに対する感謝を忘れず、身近な人たちが安心して努力できるよう還元していきたいと思ったのでした。
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